【実録】借金再生録#1|ブラック労働の憂さ晴らしで競馬に逃避

借金再生録

就活~内定

私は2003年という就職氷河期の真っ只中にもかかわらず、大手化学メーカーへ就職できた。
私立大文系の友人が毎日汗だくでヘロヘロになって何百社も回って就活している中、私は比較的ラクに内定をもらうことができた。
こう書くと、「どうせ地頭が良くてコミュ力が高かったからでしょ?」と感じる読者の方もいるだろう。
しかし、旧帝大工学部の大学院の学校推薦制度のお陰で、まんまと大手に潜り込んだのが実情だ。いわゆるテストだけ得意な高学歴で、会社が最も採用してはダメなタイプの人間である。

実際の私は、極度の人見知りかつコミュ障で、バイトもすぐにクビになったり辞めざるを得なくなるほど社会不適合者である。

入社

入った会社自体は、当時の大手掲示板や研究室の先輩たちの話を総合すると比較的ホワイトな部類。しかし、就職して最初に配属された部署はとんでもないブラック部署だった。
また、指導者として付いた先輩が高校中退→大検から大学院卒業→入社したユニークな経歴の人物で、年下には大変厳しく、1褒めて9貶す・叱るタイプであった。
この指導者とはとにかくウマが合わず、会社を辞めたいと思わない日がないぐらいの消耗した毎日を過ごしていた。

この状況に加えて、入社半年後に超短納期の新商品開発のテーマが降りてきた。この納期は一般的には無茶どころではないレベルの短納期である。
この日から本当のブラックな日々が始まった。その指導者と共に毎日の終業時刻が早くて22時、遅いと0時過ぎ、土日どちらかは必ず出勤しなければならない日々がやってきた。
当時の社会の風潮は、サービス残業は当たり前で、実際の残業時間は100時間を超えていたが、残業代は実際の残業時間の半分も出ていなかったと記憶している。
とにかく業務に追われて、ただ漠然と目の前の作業をこなしていく毎日だった。
正直辞めることさえ先延ばしにするほど忙しかった。
もちろん忙しい日々の中にも波があったが、大体このサイクルが2~3年続いた。

競馬への逃避

このような毎日だったので、一番の趣味の野球観戦が全くできない。
スマホもまだない時代だったので、携帯のiモードで試合結果だけを知るといった感じで、せっかくの2003年と2005年の阪神タイガースの優勝もあまり記憶に残っていない。

一方の競馬であるが、学生時代からダービースタリオンにハマってやがて実際に馬券をチョコチョコと嗜んでいた。
就職してからはPAT(電子投票システム)に入会し、いちいち競馬場やWINS(場外馬券売場)に行く必要もなくなり、気軽に馬券が買える環境が整っていた。
休日は、土日の片方だけしか休めなかったとはいえ、朝から夕方まで開催しているJRAに自分が吸い込まれていったのもある意味で運命だったのかもしれない。
それでもしばらくはメインレースで遊ぶ程度だったのだが、やがて亀谷敬正氏の馬券攻略本を買って、午前中から平場(格の低い)のレースに賭けたりするぐらいハマり込んでいった。

特大万馬券の夜

2006年頃、めったに買わない三連単という1~3着まで順番に当てる馬券種で6000倍、つまり100円が60万円になる超ビッグ配当を的中させた。確かそれまでの最大配当は10万円すら超えたことがなかったと記憶している。
これほどの大万馬券を的中したにもかかわらず、最初は口座の数字が増えただけであまり実感が湧かなかった。
しかし、この金額をATMで下ろした時に、札束が怒涛の勢いで吐き出されるのを目の当たりにする。全身に今まで経験したことのない量のアドレナリンが駆け巡った。そしてお風呂に長時間入っていたかのように、頭にのぼせ上がった。

この時に、地獄の釜の蓋を開けたことになっていたとは当時の私は知る由もなかったのだ。

コメント